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博士号を取得しました

1. はじめに

先日、私が所属する慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科の博士の学位取得に関する最終合否判定の結果、合格となり無事に博士(政策・メディア)を取得するに至りましたのでこの場を借りてご報告させていただきます。

博士で取得できたことは、目を背けたくなる困難な問題に真っ正面からぶつかって、立ち向かい続ける精神力だったと思います。

これから博士を取ろうかな、課程博士って実際どんな感じなんだろう?博士って何をする物?といったところに実体験を交えて共有出来ればいいなと思います。なお、これはあくまで一つの例ですのですべてがこうであるとは限りませんのでご理解ください。研究内容まで含めると膨大になりすぎるのでまた今度紹介したいと思います。

2. なぜ博士へ?

博士号はよく「足の裏の米粒」のように表現されます。取らなくても良いが取らないと気になる、というものです。実際日本においては、博士を持っていないとどうしてもダメな仕事が少なく、それよりも社会人経験のほうが重視されています(国外ではその限りではないです)。なので国内ではよく博士を持っていてもあまり使い道がないと言われるんですね。

そんな状況を知っていましたが、自分の場合は先生方に憧れがあったのと、打算的ですが今の調子でいけば博士がとれそう、であれば取ってしまおうという正直いって不純な動機でした。

実は元々博士を取得する気は無く、修士の時点で就活をしていました。しかし、IPA未踏アドバンスト事業に採択されたことをきっかけに、であれば自由な時間が取りやすく、研究も出来る博士進学が良いだろうということで進学をすることに決めました。

未踏アドバンストに採択されたときの記事↓ fumimaker.net

しかし、博士に行くということはいろいろな「工面」が必要です。当然学費を親族に支援しもらう訳にはいかないので自分で工面する必要がありますし、親も独り立ちしてほしいと思っているなかまだ学校に行くというのは心配でしょう。ということで親に対して、今置かれている状況、博士進学後のスケジュールと必要なお金の収支予測、その後の進路などについてプレゼンテーションを行い納得してもらいました。もともと好きにやらせてもらっていたので今回も案の定、好きにしなさいと言ってもらえたのが良かったと思います。

生活にもお金が必要です。通常であれば、日本学術振興会のDC1やDC2を狙うのが良いと思います。しかし自分の場合は、修士までにやっていた研究室のアルバイトや未踏アドバンストがあったため、ここは見通しが立っており問題がありませんでした。

3. 博士号はどうやったらとれるの?

そもそも博士号は大学や研究科によって異なる条件をクリアすることで審査に進むことができ、公聴会や最終審査を経て博士号の判定がなされます。ここで合格をもらうと晴れて博士号を取得することができます。条件こそ違いますが、この流れはだいたいどの大学でも同じだと思います。

自分が学位を取る際の流れ

うちの大学の場合はいくつか条件がありますが、特に難関なのはジャーナル(論文誌)への主著掲載が2本以上、国際カンファレンス発表が1本以上という条件です。ジャーナルは通常号だと査読に半年、再査読にそこから2ヶ月、掲載さらに2-4ヶ月でだいたい1年かかります。特集号というものでは査読に2-3ヶ月、再査読1ヶ月、掲載まで3ヶ月といったところで早くて約半年となります。さらに海外のジャーナルだと査読者が見つからない場合はたらい回しにされ、さらに伸びて2年近くかかったなんて話もあります。

4. 博士取得までの計画

このように、博士卒業には計画性が非常に重要です。この期に卒業がしたいのであればいつまでに何が揃っていないといけない、このジャーナルに出すのであればいつまでに提出しないといけないといったことが逆算できますのであらかじめある程度の線表を引いておいた方がいいでしょう。

しかし論文はネタがないとかけません。見通しがある状態でないと精神的に非常に不安定になります。論文の内容も決まっていないとその先が何も決まらないからです。

自分の場合は、修士からやっていることが非常に簡単 明確で、これとこれは論文になるのではないか、そういうのはどうかということをスライドにして主査や副査(指導してくれる先生)に相談していました。そうするととりあえずのところ、方向性が見えてくるのでとても気持ちが軽くなるのでおすすめです。

5. 博士研究

うちの政策・メディア研究科では、単なる工学的な視点だけでなく政策・メディアとしての1つ上のレイヤーでの視点が非常に重要です。正直いって自分もまだ完全に理解できていない節はありますが、両面からの視点で研究を組み立てることが重要です。普段の研究室内での発表や予備審査などのたくさんの先生のコメントを通して、この人はこういうことについて興味があるんだな、この人はこういう視点なんだなというのをよく覚えて、足りていないものを補うことが大事です。当然ですが先生の出身の研究や分野によって視点は全く異なります。相反することを言う場合もありました。自分に足りていないものがあればその先生を味方につけるべく、研究相談に行った方がいいと思います。実際自分も何人かの先生のところに行き、研究を見てもらいました。そうすると本当はこういうことが言いたかったんだなとか、そういう思想なんだなというのが見えてきます。

実は修士の頃にそのように研究相談をしていた先生がいたのですが、どうしても自分の視点ではその考えができず、博士ではその先生に副査に入ってもらい研究を強力に支えてもらいました。その先生の助けもあり博士研究を終わらせることができたと思います。教授たちは敵では無いので必要に応じて味方に使えることが大事だと思います。

とある先生の受け売りですが、「博士課程は自動車教習所と同じ」という言葉があります。掟破りの地元走りウルトラスーパーレイトブレーキングなどのスーパーテクニックを見せる必要は無く、決められた条件をクリアし、誰からの文句もつけられない研究をすることが大事だ、というものです。自分の博士課程はこれに徹することで、とにかく前に進めることだけを考えてきました。

博士課程ではよく精神的に病んでしまったり、大変だという話があります。自分の場合は後述しますが、環境に恵まれていたのとタイミングが良かったという運もあり、特に病むことなく走り抜けられました。もちろん、学術的な研究の価値に迫る大変厳しいコメントがあったりなど気持ちの波はあったと思いますが、自分の性格上結構頑固なので何言われても気にしなかったり(気にしてないふりかもしれません)、研究室にいる他の人よりも圧倒的に馬鹿なのでなんか言われてもすぐに忘れるということや、後輩にドン引きされるほど寝るので問題はありませんでした。寝たら忘れる揮発メモリだったので忘れてはいけないことは外部記憶に全部メモしてました。

6. 博士課程を支えてくれた環境

今回自分は標準修学年限で博士課程を修了することができました。博士は比較的卒業が伸びる傾向にあり、オーバードクターで大変という話はTwitterでもよく見たことがあると思います。その中でも自分は3年で卒業することができました。これは自分の研究がすごかったとか、天才だったからとか、そういうものでは断じてなく、ひとえに環境の要因が大きかったかなと思っています。

まず先生たちに恵まれていました。元々SFCは学部から研究室に所属でき、さらに動くのが自由で来期には他の研究室に行ってしまうのが珍しくありません(学部3年までに限る)。このため研究室に入ったらずっとそこだけを信じ続けるというよりは他の先生のところに行って相談したり、交流が盛んです。修士までにいろいろな先生と活発に研究相談をさせてもらっていたので、博士でも研究を進める上で非常に助かりました。この先生はこういう人だな、この先生はこういう分野出身だなというのを話して実際に理解しておくというのはとても大事だったと思います。

続いてお金の心配があまりありませんでした。研究グループ内でのアルバイトをしていたのと、JASSOの学生ローンを満額借りていました。ありがたいことに大学内の奨学金もたくさん採択され、学費を払いながら生活するに足りる状態でした。(もちろん就職した方がお金はもらえますのでお金が欲しい場合は就職した方が良いでしょう)

また、未踏アドバンストの採択を通して極めて優秀な仲間に支えられ、社会実装を一緒に進められました。研究室内では共同研究でやりたい研究をやらせてもらい、無事に論文化することもできました。さらに、研究室の先輩方と仲良くさせていただき、博士を取得する上での必要なことや心構えなどを共有していただいたのが非常に強力でした。

このように、とても自分一人の力だけで卒業できたとは全く思えません。重ねて、深く感謝申し上げます。


7. 学位審査のレポート

ここからは当日の様子を綴った文章です。興味のあるかただけご覧ください。

予備審査

まだまだ荒削りで、ただ言いたいことを言ってしまっただけのようになってしまったのを覚えています。ただこのときにいろんな先生から博士研究として完成させるにはどうしたらいいのかの指標をコメントいただき大変ありがたかったです。工学出身の先生からは大変厳しいコメントももらい、ここでをしっかりたたき直して研究の形を変えられるようになったのが良かったと思います。

公聴会

正直めちゃくちゃ緊張しました。発表だけは散々練習して、当然目をつぶって発表できる位には頭に入れていましたし、前日に発表予定の教室に行って当日の環境を模して、Zoomを起動しながら、画面共有をしながらスライドを動かしてみて、マイクも使って遠隔に音が入るか、映像も入るかなどを確認しました。マイク音量などもこの時点で覚えました。当日の負荷をできるだけ小さくする努力をしました。

↑発表時間に自動でツイートされるようにしたもの

当日、実は朝一番の8:30発表スタートだったので、7時には学校行って最後の発表練習をして30分前にはセットアップに向かいました。実は実機デモを持ってきていたのでそれを動かす準備もありました。

発表はつつがなく進行しました。特にテンパることもなく、予定通りで35分発表のところ34分58秒ですべて言いたいことを言い終えました。

しかし問題はここからでした。質疑がとにかくダメダメ。表面上、質問に対する回答はすべてできました。しかし、回答はしているのですが、その質問の裏にあるものを察してそれをくるめた回答ができなかったです。発表自体は自分で練習できるんですが、やっぱり質疑は全然練習してなかったのが仇になりました。

質問に対して、なぜこの質問をしているのかを考えながら、回答する能力が全く足りていないことがわかったのでこれを次回の課題になると思います。つまり、この質問をしてるということはこの前提がわかっていないんじゃないか、この質問をしてくるということはつまりどういうことを知りたいのか?ということがぱっと答えられるようになりたいです。

その場で審議となり、無事に合格をいただきました。同時にコメントももらい、最終審査に向けて修正点が明らかになります。

最終審査

公聴会でもらった指摘を踏まえ、博論の修正を行います。すべて妥当な指摘で、直すべきものだったのでキッチリ直して再度主査・副査の前で発表を行いました。内容はReply letterに近いものです。

そこでさらに深い議論を行いました。正直、ここが一番厳しかったです。新しく取った評価についてや、新しい研究の形について、普遍的に適用出来る理論体系とは何か、もし大学の教員採用試験でこういう質問をされたらどうする?といったかなり頭を悩ませる質問が多かったです。研究そのもの対する質問というよりは、さらに2歩、5歩引いたマクロな視点の研究に対する質問で完全にノーガードだったので思いっきり面食らいました。なんとか絞り出すように回答しましたが、キツかったです。ガチで自分の力が試されてる感がありました。全然理論だって話すことができず、つらかった・・・・。事前に準備してないとなんも話せないんだなぁとここでよくわかりました。いつもすぐに世界観を語れる先生方は本当にすごいなとここで改めて思いました。自分もこうなりたい。

本当かお世辞か皮肉かわかりませんが、「ものすごくよく出来ていたので期待して難しい質問をしてしまった」という風の噂を聞きました。だとしたらもっと期待に応えられるようにならないといけないですね。ただ、博士論文に関しては言うことはないと3名とも仰せられたので良かったです。

8. 終わりに

とりとめの無い話となってしまいましたが、博士号を取得した体験談兼、レポートでした。これから博士に行こうか迷っている、という人がいれば一助になれば幸いです。ただ、本環境はなかなかに特殊だったと思うのでそこでもこの通りとは限らないのでできるだけ研究室の人に聞いた方がいいと思います。

博士課程で得られたものは目を背けたくなる困難な問題に直面しても決して目を背けずに、戦い続ける精神力だったと思います。これは一生使い続けることができる貴重な財産になると思います。今後の人生についてはあまり決まっていませんが、微力ながら社会が良くなる仕事が出来れば良いなと思います。結局行くか散々迷って博士課程も、研究と、実装と、ビジネスをすべて経験出来たのは大変貴重だったと思います。

最後に、博士号取得は到底一人で成し遂げられたものではありませんでした。お世話になりました主査、副査の先生、政策・メディア研究科委員会の先生方、合同会社瞬景のメンバー、未踏関係者、Twitterでお世話になっている皆様、家族に大変感謝いたします。


付録

研究に関して見てわかりやすいものを集めたページを作ったので良ければご覧ください。 doctor.fumimaker.net